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以前、「声に出して読みたい日本語」なんて流行ったものですが、「もう一度読みたい教科書」なんて本があったら買っちゃいそう。
吉野弘と出会ったのも高校の教科書だし。
未だに忘れられない「夏の葬列」は中学だったかしら。
教科書って、名作の宝庫だよね。
確か、ゲド戦記も教科書に載ってたし(授業中に読んだのを覚えてる)
たまに思い出すのは「少年の日の思い出」
あの頃は特に何も思わなかったけど、きっと今読むと色々考えるんだろうなぁ。
わたしがいちばんきれいだったとき
わたしをたばねないで
てふてふが だつだんかいきょうを…
断片的に覚えている思い出。
そんなレスをずーっと見ていたのですが。
とあるレスに
ひとつの花(お父さんが出兵する時に、「ひとつだけちょうだい」とおにぎりをねだる子供。最後はおにぎりも無くなっちゃって、ぐずったらお父さんが「ほら、ひとつだけのお花だ」ってコスモスを渡す。最後のシーン、子供はコスモス畑の家でお母さんと暮らしてる…って話)が感動する意味が分からない。
ちょうだい、ちょうだい、とねだる子供に忍耐や、ありがとうの気持ちを教えないのか。
父親を忘れたラストがどうして素晴らしいのか。
ただの欲しがりなわがままな子供じゃないのか。
と、あり。
あぁ、こんな風にしか考えられない人って居るんだなぁ、と。
これが現代の話であれば、女の子はただのワガママなのかもしれませんが。
時代背景は戦争末期。
物資が無い時代、子供の「白いおにぎりが食べたい」の欲求を叶えてあげる親の悲しさ(戦争に行って帰ってこれないので、もう子供の為に何かをすることはできない)が理解できないのか、と。
この話を始めて読んだ時は、ただ悲しい話だ、と。
けれど、戦争が終わってお父さんを失っても彼女は暮らしてる話でハッピーエンドなんだと子供心に思ったもの…
「考える」
と云う行為を忘れてはいけませんね。
内面を磨くってのは大事だと思いました。
割と自分の周りには教員免許を持ってる文学少女が多いので、そんな話について深く考察したら面白そうだなぁ、と思います。
夏の葬列とかね!
悲惨過ぎる(笑)
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備忘録として活用中。